「魔を滅する(魔滅)」に通じることが豆まきの由来

2月3日は節分です。節分とは季節の変わり目を意味し、本来は立春・立夏・立秋・立冬の前日をそれぞれ節分と呼んでいました。しかし、室町時代ごろから春を迎えることが1年を迎えることでもあったため、立春の前日の節分がメジャーになったそうです。

節分といえば豆まきですね。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅)」に通じることが豆まきの由来だそうです。

ここでいうオニとは何を指すでしょうか?
私は、人間の心の中になる三毒を指していると考えています。三毒とは、必要以上に求めたり(貪)、怒ったり(瞋)、愚痴を言ったりする(痴)煩悩であります。

欲しいという欲望むきだしにして必要ないものまで買ってしまったこと。感情のまま怒ってしまったこと。ついつい愚痴が多くなったこと。誰しも経験があると思います。
どの煩悩も人間には必要なものであります。ですが、程度が過ぎるのはよくありません。買おうとしているものは本当に必要なものかどうかもう1度考えてみてはいかがでしょうか。

感情のまま怒る前に少し冷静になってみてはいかがでしょうか。愚痴をこぼす前に自分の行動を振り返ってみてはいかがでしょうか。そうしたほうが結果はきっといいはずです。

この三毒のオニを自分の中でうまくコントロールできるように毎日意識して生活していくことが大切だと思います。

今年は「鬼は外、福は内」と大声で叫びながら豆をまき、家に福を呼び込むとともに、自分の心の中に住み着いているオニと向き合ってみてはいかがでしょうか?

「見ざる・聞かざる・言わざる」のお話

明けましておめでとうございます。2016年が始まりました。今年は例年になく暖かで穏やかなお正月でした。お正月の天気のように今年1年穏やかに過ごしたいものです。

さて、今年は申年です。正式には、十干と十二支を組み合わせて丙申(ひのえさる)年です。申年ということでサルを使ったことわざ、「見ざる・聞かざる・言わざる」のお話をしたいと思います。
このことわざは、他人の欠点や過ちは、見ない、聞かない、言わない、とするのが良い方法である、という意味です。
いい噂や他人の幸福というのはなかなか広がりません。

しかし、悪い噂や他人の不幸話などはあっという間に広がります。
TVの情報番組などで報道される芸能人情報では、結婚などの幸せな話よりも離婚協議泥沼化といった不幸話の方が視聴率はいいそうです。他人の不幸を楽しんでいる人がどんなに多いかということです。

思い返してみてください。嫌いな人が評価されていると嫌な気持ちになり、逆にその人が不幸な目にあっていたら、しめしめと思う。そんな経験はなかったでしょうか。
私を含め、人間には大なり小なり程度の差こそあれそうゆう部分を持っていると思います。

「見ざる・聞かざる」の2つは情報として入ってくるものであるので、どうしようもない部分があります。しかし、「言わざる」は自分から言葉として発せなければいいのです。嫌いな人が不幸な目にあっていても、心の中だけに留めておき「言わざる」でいれば悪口を言わなくてすみます。他人の悪口を言うことは自分の評価を下げてしまう行為です。

申年が始まるにあたり、「見猿・聞か猿・言わ猿」の三猿、特に『言わざる』を意識した年にしてみてはどうでしょうか?
本年も皆様にとりまして素晴らしい1年になりますようお祈り致します。

合掌